2016年6月19日日曜日

淦汲み

「アカクミ」という言葉を初めて知ったのは、たぶんShigeさんのブログででした。
それまで、船底にたまった水を汲み出す作業は、何度も見たことがありましたが、汲み出す道具の名前は知りませんでした。

小さいころ、川の岸辺の、土手の内側に建った家に住んでいました。
その川は、海とつながっている汐入川だけれど、家は、潮の満ち干ではあまり水位が変わらないほど遠く離れた場所にありました。家の対岸にはいつも木の平底舟がつないであり、使う前には必ず水を汲み出しているのを見ました。どの舟もたまにしか使わないので、水がたまり、今にも沈没しそうな舟さえありました。

長じて、タイやカンボジアで暮らし、海や川とともに生きる人たちともかかわり、船しか交通手段のないところにもよく行ったので、その都度船底の水をかい出すのを見ました。
屋根のない船に乗って、土砂降りの雨の中を進んだとき、乗客である私は、やっと身体を覆える大きさのシートを被って、身体を動かさないようにじっとしているだけでしたが、船の助手は、ひたすら水を汲み出していました。
でもその水を汲み出す道具、アカクミとなると、いったいどんな形のものだったのか、まったく覚えていません。東南アジアのそれは、たぶん、持ち手つきのプラスティックの容器(ビン)の底を、斜めに切り落としてつくったものだったのではなかったかと思います。


そんな、板を組んでつくったアカクミを、骨董市の顔なじみの骨董屋さんの店先で見かけたのは、もうずいぶん前のことでした。
「あらぁ」
「あぁ、これ?舟の水をかい出すものだよ」
「いくらなの?」
「四千円かな」
「高っ!」
「ほら、これに花を活ける人が、いるかなぁと思って」


そのときは、それきりになってしまいましたが、そのアカクミが、しばらくして思い出されました。
たぶん、それを逃すと、二度とアカクミに出逢うことはないでしょう。木の舟がつくられなくなったと同時に、木でつくったアカクミも忘れ去られ、すでに、ほとんどは木の舟とともに朽ちてしまったり、燃やされたりしてしまったはずです。

次の骨董市で、その骨董屋さんに訊きました。
「あのアカクミ、まだ売れ残っている?」
「あるよ」
よかった。
「でも、別のケースに入れてあって、今日は持ってきてない。今度、持ってきてあげるよ」
次の骨董市、私はいそいそと、またその骨董屋さんの店を訪ねました。
「あっ、ごめん。悪かった。持ってこようと別にしておいて、忘れちゃったよ」


そんなこんなで、アカクミはなかなか手に入りませんでしたが、その次の骨董市には、忘れずに持ってきてくれたので、二ヵ月ぶりくらいに、出逢えました。

「正直、これ市で二千五百円で買ったのよ。でも何度も足を運ばせたから、二千円でいいや」
「えぇっ、それじゃぁ損しちゃうじゃない」
「いいんだよ、五百円くらい。この前は十二万円で買ったものを一万円で売ったんだから。その損に比べりゃ、どうってことないよ」
「えぇぇっ、それはまた、どうして?」
「濱田庄司のお皿を買ったんだけど、ひびが入っていたのに気がつかなかったの。割れてりゃ、しょうがないでしょう」
これでは、骨董屋さんは損のしっぱなしですが、私としてはありがたい、いただいてきました。

『新編 漂着物辞典』より

『新編 漂着物辞典』(石井忠著、海鳥社、1999年)には、アカクミに関して、興味深い記述があります。
1973年に、玄海町の上八浜に漂着したアカクミは、一本の木を刳り抜いたものでした。
1976年に、古賀市花見浜に漂着したのは、杉板を組んでつくったもの、ちりとり形で、玄界灘沿岸の漁師さんたちが自分たちでつくって使っているものと、似たものでした。
今回、私が手に入れたアカクミは、そんな形のものです。

『新編 漂着物辞典』より

そして、1979年に、津屋崎町勝浦浜に漂着したのは、プラスティック製の浮きと木片を組み合わせてつくったものでした(たぶん、上の段の真ん中のもの)。

それまで、漁にはガラスの浮きが使われていましたが、プラスティック製の浮きに取って代わられようとしていた時代でした。
1970年代後半には、破損した韓国製のプラスティック浮きが、大量に玄界灘沿岸に打ち上げられました。プラスティックは、まだ粗悪だったので、破損率が高かったのです。
その、破損したプラスティックの浮きを漁師さんたちが拾って、木と組み合わせてアカクミに仕立てて使っていました。
やがて、1987年には、津屋崎町恋の浦でプラスティックの工場製品のアカクミが、1996年には津屋崎町白石浜ではステンレスの工場製品のアカクミが漂着していました。
ほとんどの漁具を漁師さんたちが手づくりする時代が終わって、何でも買う時代に突入していたのを石井忠さんは、アカクミを通して見ていらっしゃったのです。

糸満海人工房資料館より拝借

さて、沖縄には、琉球松の木を彫り出したユートゥイ(アカトゥイ)があります。底は船底に合わせて、湾曲させてあります。
沖縄では船上で食事をする際、このユートゥイを、食器としても使っていたのだそうです。
石井忠さんが、1973年に拾われたアカクミは、沖縄のユートゥイだったのでしょうか。


上の写真は、神奈川県川崎市立殿町小学校が所蔵する、アカケエ(アカクミ)です。大きいのはオオブネ用、小さいのはベカ用、ベカとは平底舟のことです。
今は大都会の川崎も、かつて漁師町だったことがあったのです。
そういえば、私が中学生の頃でさえ、浜松町駅の浜離宮の先には海が見えたし、東京から横浜に行くまでの電車の線路の、そう遠くないところに海がありました。

1960年代から70年代にかけて、地球上のたくさんの地域で人々は、それまでの生活や文化を失いました。日本でも、同じころ生活の多くのものは手づくりするという文化が、失われてしまったのでした。







2 件のコメント:

Shige さんのコメント...

さまざまなアカクミ見せていただき、ありがとうございます。
韓国や中国などで、漁師さんがプラケースをリサイクルして作ったアカクミ、こんど良さそうなの見つけたら、取っておきますね。(笑)

さんのコメント...

Shigeさん
こちらこそありがとうございます。
プラスティックのリサイクル、取っておいてくださいね。今度、いただきに行きます(笑)。寒いのは苦手だけど、行く時期としては、白樺浮きが漂着する時期がいいなぁ(笑)。