2015年5月16日土曜日

破れ傘

14年前、八郷に来て最初の仕事は、敷地の草を刈ることでした。背の竹より高い草や篠竹を夢中で刈り終わって見まわすと、敷地の四方も荒れ果てていました。

農村では、1960年代まで、薪も落ち葉も貴重な資源でした。
誰もが、薪、落ち葉、牛の餌である草などを必要としていたので、私の今住んでいる村では、こと細かに拾ったり採ったりする範囲やルールを決めていました。
自分の土地や入り合い地のもので不足するときは、大地主さんの山(土地)の枯れ枝や落ち葉を拾わせてもらいました。そして、いただいた量に応じて、その地主さんの田畑の仕事に労働を提供することで、貸借の帳尻を合わせました。
当時、雑木林は薪として切り倒しては再生させたので樹高は低く、草も落ち葉もとり尽くした地面はなめらかで、裸足で歩けるほどでした。

さて、私たちがここに来たとき、山にはそんな昔の面影は、まったく残っていませんでした。
敷地の周辺の土地も、二十年、三十年と放置され、篠竹が生い茂り、その上をクズがのたうちまわり、足を踏み入れることもできませんでした。
木という木には蔓が登って絞めつけ、どの木も瀕死状態でした。あまりにも見苦しいので、目に入る範囲の雑木に登った蔓、クズ、アケビ、フジ、スイカズラ、ツタなどは、根元の方で切ってやりました。
でも、一度切ったぐらいでは、何にもなりません。いつもきれいにしておかないと、蔓はすぐ登り、我が家の敷地にも、勢いよく入り込んできました。そこで、暇を見つけては下草も刈って、その範囲を年々広げて行きました。


そんな、雑木たちの足元をきれいにしているときに、一度も畑として使ったことのなかった一角から表れたのがヤブレガサでした。


あれから十年以上経つのに、ヤブレガサの分布面積はほとんど広がっていません。それでも数年前から花を咲かせるようになりました。


とっても涼しげです。






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