2014年3月8日土曜日

土器


ぶどうジャムのおすそ分けにおおばぶどう園に行きました。
おおばさんも参加していた先日のジオツアーの話になったとき、庭から出てきた土器を見せていただきました。

すごい!庭をスコップで掘っていたら、お椀にあたったそうです。
それが右、左は以前出てきたお椀です。
「お椀があるなんて知らなかったから、がつんとやって欠いてしまった」
そりゃあそうです。誰も、土の中からお椀が出てくるなんて思うわけがありません。というわけで、縁が大きく欠けています。

我が家では、縄文土器は小さなかけらしか出てきません。以前タバコなんかつくっていた畑だったから、何度も機械で耕して、壊してしまったのでしょうか。


「この石も出てきたんだ。なんだろう?」
と、おおばさん。
さぁて、砥石かな?金床かな?
何だかわかりませんが、上の端には、明らかに加工した跡があります。

我が家はなだらかな丘の上、おおばさんの家もちょっと小高いところにあります。縄文の人たちも、私たちのように、のんびりとお茶をしていたのでしょうか?

そのジオツアーで、貝塚は塩分を取るための干し貝をつくる貝工場の跡で、須恵器がつくられるようになり、土器を使って塩が採れるようになると同時に消えているというお話を聞いたばかりでした。
貝の加工も、土器づくりもみんながやっていたわけではなく、今の世と同じように職能集団がいて、専門家がつくっていました。
もちろん電気はないけれど、水や火もあり、今と同じような生活が繰り広げられていたのでしょう。


さて、話は違いますが、大場さんの家の蔵の前のモチの木です。
このあたり、モチの木の垣根はもっとも一般的で、丹精を込めた歴史を感じさせる垣根があちこちに見られます。
農家がモチの木の垣根をつくるのは、葉が密で形をつくりやすいこと、病虫害に強いこと、なにより山で無尽蔵に手に入れることができること、そんな理由ではないかと思っていました。

ところが、モチの木は燃えにくく、防火目的で植えていたのだと聞きました。おおばさんのように、蔵の前に植えている家も多いのです。

景色はただ見ていても見えないことがたくさんあるのだなあと、改めて思ったことでした。


2 件のコメント:

Shige さんのコメント...

おお~立派な土器ですこと。こんなのがお庭から出るなんて、すごい場所ですね。

さんのコメント...

Shigeさん
すごいでしょう!おおばさんの家に行って、土を掘るお手伝いをしたくなってしまいます(笑)。
このあたり、縄文の人も、弥生の人も古墳時代の人もいたようです。