2013年4月8日月曜日

水運びの壺

拾いものとも言えません。まだ拾っていないのだから。




数年間、この壺はオオムラツツジの足元に転がっていました。剪定をするときも知らんぷり。そうしたら、地震の時に壊れて、そのまま手つかずだった外階段をなおしていた夫が見つけて、拾いあげていました。

これは、ヨルダン川西岸のわりと北の方で、珍しく湧水があふれているところで買ったものです。ところがその夜、泊めていただいた農家で古いヨーグルトの壺をいただき、 有頂天になった私は、この壺への関心をすっかり失ってしまいました。この壺をラマッラにあった事務所に置いて、
「重いから運べない。勝手に処分して」
と言い、ヨーグルトの壺だけ抱えて戻って来たのでした。

それから、十数年、ラマッラの事務所は閉めてしまったのですが、その前にどなたかが運ぶ役割を押しつけられて、日本にまで、わざわざ運んでくださったのです。
「壺があるから持ってって」
と、元の職場であった東京の事務所から連絡をもらって引き取ってきても、邪険な私は外に放りっぱなしでした。
それが何かの拍子に転がって落ちたまま、何年も経っていたというわけでした。

そんなに邪険にしているのに全然壊れていません。

泉の周辺の人たちは、今でも水を泉から運んで暮らしているのでしょう。お手洗いの壺にはプラスティックの壺を使っていても、飲み水を入れる壺なら、おいしい水を飲めるという点で、素焼きの壺にかなう壺はありません。
また、口が膨らんでいる壺はじょうごがなくても水が入れやすく、このふくらみに腕をかければ、重い壺も運びやすいことでしょう。

さぁて、拾うかどうか.....。


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