2011年11月12日土曜日

モダマの恵み





目が覚めてしまった夜、『花の王国・珍奇植物』(平凡社、荒俣宏著)を引っ張り出し、なにげなくモダマのペイジを読んでいて、びっくりしました。
「熱帯雨林の中で、モダマのつるからは、きれいな飲料水を大量に採集できることからも、珍重されている」
という記述があったのです。




モダマの生えているところは、これまで一度も見たことがないと思っていました。
ところが、実際にはそれと気づかず見たこともあったし、モダマの蔓の中の水も飲んだことがあったのでした。

1990年ごろ、マレーシアのサラワクで、バラム川沿いの村から、奥地の「森の民」プナン人の住む村まで、11時間歩いて行ったことがありました。
途中で何度か休み、三、四回は水を飲みました。

そのうちの一回は、つる植物の太い茎を、1メートルほどの長さに切って、中に入っている水を飲んだのです。




水は数人が十分喉を潤すほど入っていました。
それが、モダマの蔓だったなんて、そのときは思ってもみませんでした。

別のところでは、孟宗よりも二まわりほど太い竹を切り、節の中にたっぷりたまっていた水を飲みました。どうして、節の中に水が入るのでしょう?
それも美味しい水でした。

湧き水のところでは、小さな水溜りの水を飲みました。




そのときは、近くに生えていた潅木の葉をまず縦二つに折り、それを横に三つにたたんで、即製のひしゃくをつくりました。そのマイひしゃくで、何杯もすくって飲んだのでした。




熱 帯多雨林に足を踏み入れ、五分もすると方向感覚を失います。起伏があるところ、小川が流れているところもありますが、平坦なところでは、どっちを見ても、 枝もない木がまっすぐ立っています。その幹の向こうに見えるのは、また幹で、どこまで行っても幹、幹、景色は幹のつくる縦縞模様で、開けているのに圧迫感 を感じます。

そして、上を見上げると空は樹冠で隠され、お日さまの方向はわかりません。セミが甲高い声で鳴いているなか、すりガラスを通したような鈍い光が満ちているだけです。
直射日光を通さないため、地面には密集した草むらなど見つからず、どこでも歩けます。獣道をたどったり、先人の踏み固めた道をたどったりする必要はないのです。

そのため、プナン人はいつもナイフを持っていて、目印のために、細い、高さ1メートルくらいの稚木を絶えず加工しながら歩きます。稚木のてっぺんを切ったり、切れ目を入れてたれ下げたり、枝や葉を加工して置いたりしながら歩きます。
自分が加工するだけでなく、森の中に残された、そこを通った人のサインを読み解きます。このサインが道を決め、モダマの蔓にも行き着くし、竹にも、湧き水にも行き着くようでした。


あの、熱帯多雨林の中の、「恵みの蔓」がモダマとわかっていたら、豆をさがしてみたに違いありません。でも、豆の季節だったら、プナンの人が教えてくれたかもしれない。もしかしたら、豆の生る季節ではなかったのかもしれません。

そのとき拾ったのは、倒れるようにして座り込んだとき、目の前に落ちていた、ハリネズミの針と、亀の骨だけでした。



2 件のコメント:

Shige さんのコメント...

すごいなぁ~!
モダマ汁を飲んでみえたんだ!吃驚仰天です。

カメの骨、あの写真に写ってるのは、肩甲骨でしょうね。

さんのコメント...

Shigeさん
私も、全然知りませんでした!
亀の骨は、拾ったとき「何の骨かしら?」と聞いたら、即座に「亀」と言われたものでした。
もっとも、案内してくれた人は英語が話せませんでしたから、着いた村か、次の日戻った村か、どちらかで教えてもらったものと思います。
肩甲骨ですか。とすると亀の大きさもそこそこですね。
別のとき、ムル国立公園近くの宿で水浴びしようとしたら、風呂場が血だらけ、「わあっ」と思ったら、亀を料理したあとでした(笑)。